孤高な愛着
自分が人前で演奏するということが、どういうことかとたまに考えることがある。
これを自分で納得したくて言葉に表してみたいと書いてみた。
例えば外国人に箸を伝えようとする場合に似ている。
たしかに、私たちは箸の使い方を知っている。
しかし説明を受ける側は、なぜスプーンではいけないのかという素朴な疑問もわく。
箸でなくてはならない理由はない。
箸という道具の中にその必然性があったのではない。
どちらかというと、私たちの側がこの道具の洗練を育む「意志」を持ってだけである。
だから箸の技法と同時に、この箸への愛着を共有してもらいたいと伝えるのである。
楽器についての弾き手の孤高な愛着、そのような常識が染みついてる私たち。
わざわざ人前に出て演奏するという行為は、
音楽をとおして、何かを共感してほしいと考えている自分の表れのようでもある。